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フィリピン移住を考える・・・その29 『フィリピンで貧乏になったなら・・・』 [移住]

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これほど、不幸なことはありませんな。(笑)

以前にも書きましたが、私は移住したての頃、この貧乏神には常に悩まされてきました。

まあ、世間知らずで、持ち金全て、持っていかれていたのですから、仕方がありませんが・・・


しかし、お金が本当に無いというのは、思ったより辛いものですよ。

何しろ、何も買えないのですから・・・

喉が渇いても、コーラの1本も買えません。


お腹が空いても、飯が食えないのです。

でもあれは、本当の貧乏では無かったですな。

少なくても、まだ手を差し伸ばしてくれる人がいましたから・・・


1日2日はあっても、3日連続飲まず食わずは、未だに経験したことがありません。

まあ、抱えているものも私一人でしたから、その点は気が楽でした。

今のように、嫁と子供を養っていると、ああいう生活は絶対にさせられませんね。


でも、ここはフィリピン

いつ何があっても、不思議ではありません。

いざという時の、シュミレーションくらいはして置くべきかも知れませんね。


勿論、不測の事態に備えて、非常用の貯えは必要でしょう。

又、自分に何かあった時のことを考えて、家族にその在り処を伝える手段も考えて置かねば、後

で路頭に迷わす結果になり兼ねませんね。


当たり前の話で、通帳やATMカードがあっても、暗証番号やサインがないとお金を下ろせません。

では、普段からこれを誰が管理をするのでしょうか?

私の場合、暗証番号や大切な連絡先などが書いた紙を、以前から嫁に渡しています。


が、この宇宙嫁、極楽とんぼなのかお気楽なのか分かりませんが、この紙の在り処を、しょっちゅう

忘れてしまうようです。

聞く度に、『あれっ、何処にやったっけ?』、と覚えていないのですよ。(涙)


『ぉぃぉぃ...』

私が呆れていると、挙句の果てには、一緒に探してくれとまで言い出す始末ですわ。(号泣)

これでは、意味がありまへんな。


本当に、うちの嫁ときたら、いざという時の心構えなど、無きに等しいですぜ。

まあ、この星ならではの、緊張感のなさですかね?

今後は、新たな方策を考えなければならないようです。


さて、本題ですが、家族全員で貧乏になったらどうしましょう?

これなら、捨てられて独り身になった方が、よっぽどマシですね。

自分一人なら、何とか生きていけるかも知れません。


しかし、家族を連れて路頭に迷うという選択肢は、私の中の何処にも存在しません。

又、想像もしたくはないですね。

そう思うと、心が発奮します。


明日の保証のない国、責任は誰も取らない国、生きて行くには厳しい国に私達は住んでいます。

善意はこの国にも存在しますが、それに頼って生きるのは潔しとは思えません。

先ずは、自分自身に、この国で家族を背負って生き抜く覚悟を身に付けるべきですね。


その後は、その覚悟を遂行し実行に移すしか無いのです。

そうすれば、道は己ずから開けて来るでしょう。

ここ数日のデング熱騒動で、私にも新たな覚悟が生まれて来たようです。



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新たな覚悟で、ここを押しましょう!(爆)

フィリピン移住を考える・・・その28 『フィリピンで求人を探す 1』 [移住]

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フィリピンで仕事を探す場合、二通りの事を考える人が多いようです。

一つは、移住前に仕事を決めて来る人、一つは、移住後に職を探す人ですね。

前者は、固いとも云えますが、一つ難点があります。


先に仕事ありきで渡比したため、住居選定で失敗するケースが多いのです。

会社が用意してくれるのならそれで良いのですが、自分で決める場合は、通勤が意外に不便だったり

と、生活慣れしてないばっかりに、誤った選択をしてしまうことが少なくありません。


まあ、だんだんと慣れてしまえばそれでも良いのでしょうが、初めから色々なストレスを抱えて仕事をす

るのも、何だか妙な話ですね。

『こういう方の転職は早い』という話は、よく頷けるような気がします。


その点、移住後暫くこちらで生活してから仕事を探す人は、生活慣れしているだけあって、地理関係も

しっかり頭に入っているでしょうし、気候や食事にも慣れて来ているでしょうから、健康管理の面でも安

心して働くことが出来るでしょう。


さて、本格的にこちらで仕事を探すには、どうすれば良いのでしょうか?

先ずは、ネットで探すことですな。

上の写真のような、人材紹介会社に紹介して貰うのも一つの手です。


ここだけではなく、人材紹介会社は他にもありますので、『フィリピン 求人』で検索して見ましょう。

ネットが普及していなかった昔は、まにら新聞だけが、唯一求人の探し場所でしたが、最近は便利にな

ったものです。


それでは、職が早く見つかる人と、そうでない人の違いは何処でしょう?

勿論、タイミングもあるでしょうが、それ以外だと、上位に来るのが先ず言葉です。

英語やタガログ語など、言葉が出来るというのは、仕事を探す以前の条件ですね。


コールセンターなど一部の仕事では、言葉が喋れなくても大丈夫という職種があるにはあります。

でもまあ、限られているので、電話の応対が苦手な方は、是非言葉を覚えてから職を探しましょう。

さて、言葉の次に来るのは年齢です。


気の毒な話、最近は40歳以上の求人は圧倒的に少なくなりました。

あっても、せいぜい45歳までですね。

50歳を超えると、ほぼ絶望的です。


それを覚悟して、移住は決めるべきですね。

働かなくても充分な収入があれば良いのですが、そうでなければ、余程特殊なスキルがない場合、

45歳以上の方の求人は望めません。


同じ事は私にも言えるので人事ではありませんが、50歳を超えて急に職を失うような羽目になると、

地獄が待っていると言っても、過言では無いような気がします。

そうなると、独立して何か自分の仕事が出来るくらいの、貯えが必要になりますね。


続く・・・


とうとう、10位転落じゃー!(瀧涙)
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フィリピン移住を考える・・・その27 『フィリピンで家族を持つ 後編』 [移住]

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やはり、こういう番組は良いですなあ・・・(ほのぼの)

実はこの番組の放映時、私達夫婦は毎朝これを見るのが日課でした。

敢えて、自分勝手なことを申します。


自分の家庭が幸せであるかないかの評価は、その人の捉え方や観点にもよって様々でしょう。

ちなみに我が家では、私が亭主関白を通すことに依って、幸せが保たれています。

勿論、仕向けたのは私ですが、それを助けてくれたのがNHKですね。(笑)


古い時代が設定のドラマでは、妻が夫を支える、内助の功が良く描かれています。

これが、私にとっては好都合なのですわ。

嫁は、日本語は解しませんが、ドラマのストーリーは何となく分かるようです。


まあ、感はいいようですね。

説明させると、9割方理解しているように見受けられます。

この、『ゲゲゲの女房』もそうでした。


夫である、漫画家水木しげるを貧乏時代から支え、家計をやりくりしながらその仕事を影で支えていく。

まあ、この手のドラマはこちらには中々見当たりませんね。

金の切れ目が縁の切れ目になった日比夫婦を、これまでに嫌になるくらい見てきました。

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逞しくありながら、献身的精神の女性・・・

夢のような理想ですが、これらは探すのではなく、こうなったらもう作るべきですな。

こちらの女性は、元々逞しいではありませんか!


しかし、フレンドリーではありますが、献身的とまでは言わないでしょう。

ここまで来たら、改良点は僅かですぞ!

ここからは、最初が肝心です。


最初の対応を誤ると、軌道修正は難しいでしょうね。

夫婦円満の道は、自分が耐えて耐えて耐えぬくか、亭主関白をずっと貫けるかです。

さあ皆さん、夫婦で見るテレビ番組は、とことん選んでから見ることにしましょうね!(爆)


ひじを左わきの下からはなさぬ心がまえで、やや内角をねらい、えぐりこむように押すべし!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その26 『フィリピンで家族を持つ 前編』 [移住]

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何だか、昨日迄の記事の延長のようですな。(苦笑)

今の嫁とは、この国で知り合いこの国で結婚しました。

娘は、この国で生まれています。


写真ですが、このあいだの年末年始に、嫁と子供が初めて日本を訪問した時のものです。

何と、一緒になって12年目の快挙でしたね。

タイには一度、家族で旅行に行ったことはありますが・・・


まあ、旅行の話は置いといて、同じ日比家族でも日本で知り合い日本で暮らす場合と、比国で知り合

い比国で暮らすのとは、その生活が大きく変わってきます。

さて、実際にどう違うのでしょうか?


先ず、日本で暮らす場合ですが、配偶者は、日本の法律や習慣に従う必要がありますね。

日本人の夫又は妻は、それらのサポートをしなければなりません。

少し面倒くさいので、大半のケースである、日本人が夫でフィリピン人が妻の場合のみ述べましょう。


いい忘れていましたが、日本で知り合い日本で暮らしていたが、家族でフィリピンに移住したい・・・

こういう方達を対象にして、この『フィリピン移住を考える・・・』を書いてきました。

この場合、日本人である夫は、フィリピンの習慣や法律に従う、若しくは戦わなければなりません。


もう、これらは散々書いてきたから、今日は書かなくて良いでしょう。

今日のテーマは、フィリピンで知り合いフィリピンで暮らす場合のみ、取り上げることにしますね。

同じ在比の仲間でも、独身でこちらに移住して来て、働きながら暮らしてる人も沢山居ます。


勿論、独身ですから、いずれはここで結婚して、家族を持ちたいと考えるのは当然ですね。

まあ、その前に恋愛をしなければなりませんが・・・

恋愛を何処でするのかは別として、私の嫁のように、日本未経験の田舎の娘を貰うと話は違います。


これは、はっきり言って凄く楽ですな。

ある人の紹介で結婚しましたが、彼女は日本語を全く解しませんし、日本の習慣も知りません。

こちらが、100%主導で教えることが出来ます。


前妻の悪口を言うわけではありませんが、日本で長く生活していると、その生活に慣れてしまったの

か、こちらの生活を侮蔑的にみるようになりました。

フィリピンに生まれながら、フィリピンを悪しざまに言うのですな。


日本で暮らしてるというだけで優越感を持つのでしょうか、帰省の折には、まるで女王様のように振る

舞うのには辟易(へきえき)しました。

別に、今の嫁が謙虚で、他人に思いやりがあるわけではありません。


彼女とて、日本で長く暮らすとなると、そうなる可能性は多分にありますね。

私が言いたいのは、住む環境に依って、人は変ってしまいやすいということです。

多分これは、民族を超えて共通なのかも知れませんね。


が、しかし、ピーナの豹変ぶりには、時々驚かされることが多いですわ。

具体例は、敢えてここでは述べません。

恐らく、思い当たる人は多いと思います。(笑)


兎に角、こちらで嫁を貰いこちらで暮らすならば、コントロールしやすい人を探しましょう。

くれぐれも、社交性のある女性は駄目ですぞ。

お金があると全部使ってしまうのは、大半のピーナに共通していますからねえ・・・(爆)


後半に続く・・・


ピーナを口説くには、全力で、押して押して押しまくることですぞ!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その25 『私の回顧録(あとがき2)』 [移住]

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私は、アリエールという名前の、フィリピン人のことを思い出していました。

アリエールとは、彼が日本に仕事の研修に来ていた時に知り合ったのですが、フィリピンに帰国して

からも、何度か日本から連絡を取り合っていたのです。


超理論肌の男ですが、他人には優しい性格でした。

研修時に少し面倒を見たことがあっただけなのですが、恩にでも着て呉れていたのか、妻の帰省時に

同行した時などは、積極的にマニラの名所などの案内役を買って出てくれた程です。


そういう彼の存在を、何故か私はすっかり忘れていました。

彼の家にも、何度か訪れたことがあったにも拘らずにです。

いわば、家族ぐるみの付き合いだったに、私は失念していたのでした。


彼は、私からの連絡を受け取ると、直ぐに会おうと言ってくれましたが、その口調は、何故か慌ただしい

ものを感じました。

実を言うと、彼は別居中の妻から既に連絡を受けていたのです。


妻にしてみれば、もう数ヶ月も音沙汰が無いので、当然といえば当然ですね。

彼は私に会うと、開口一番、直ぐに妻の実家に顔を出せと怖い顔で言います。

あっ、ちなみに彼は日本語が少し出来ました。


研修中に覚えたのですが、私はその時の先生の一人だったということにもなるでしょう。

それはともあれ、私はそれをかたくなに拒否しました。

『マテガスウロ』、と彼に言われましたが、こんな状態になって、妻に笑われたくはありませんでした。


仕方がないなと、彼は思ったのでしょう。

数日、彼の家に逗留させて貰った後、小さなアパートまで探してくれました。

職も、アリエールが会社の日本人に相談してくれましたが、言葉の問題で無理だったようです。


しかし、こんな生活もいつまでも続けては行かれません。

アリエールの負担も、次第に大きくなっていきますし、相当な迷惑だったことでしょう。

暫くして、妻の弟が私を迎えに来ました。


アリエールも、妻にずっと嘘は突き通せなかったようです。

結局私は、妻の実家に引き取られることになりました。

その後妻が帰省して来て、話し合いの結果、親子3人でフィリピンで暮らそうということになります。


ですが、この生活も長くは続きません。

就職口は見つかったものの、人には言えないくらいの安月給でした。

日本の暮らしに慣れていた妻は、そういう生活が耐え切れなかったようです。


やはり、元妻とは相性が悪かったようで、彼女は子どもと一緒に日本で暮らすと言い始めました。

『日本に帰るのだったら離婚だぞ』、と言っても聞く耳も持ちません。

来た早々大失態をやらかした癖に、日本には帰りたくないと言う私に、もう愛想を尽かしたのでしょう。


『勝手に、此処で暮らしなさいよ!』

そう言って、妻は子供を連れて日本へ帰ってしまいましたね。

日本に帰って行った早々離婚届が届いたので、私は、さっさとサインして送り返しました。


養育権を獲得した元妻は、今でも日本で元気に暮らしています。

子供も大きくなり、就職もしました。

私のみが、この国で生きるという選択肢を選んだ訳です。


さて、それからの私は、バクラーランに一人で住み着きました。

例の4天王と知りあったのも、この前後ですね。

バクラーランに住み始めて1年が過ぎた頃、ポリスのダンとパサイのKTVに行った時のことです。


居ましたよ・・・そこにトニーが・・・

しかも、日本人観光客とおぼしき数人と一緒です。

トニーは、ステージで日本語の歌を歌っていました。


日本人は、わんやわんやと拍手喝采しています。

恐らく、トニーがガイドをしている、日本人ツーリス達なのかも知れません。

私はダンに、トニーが居ることを告げました。


私は、以前からトニー達の話をダンにしていましたから、彼の反応は素早かったですね。

ポリスであるダンは、護身用の小型の拳銃を、いつもポケットにしのばさせていました。

しかし、店の中では幾ら何でも拳銃はまずいです。


ダンは、店のマネージャーを呼び出しました。

客を一人外に連れ出したいのだが、もしかしたら、少々手荒なことになるかもしれないと断ります。

ボックス席で影になっていたので、トニーは、まだ私達には気が付かないと思っていました。


しかし、彼が歌を歌い終わった時のことです。

彼は真っ直ぐに自分たちの席に戻らず、私たちの席にやって来るではありませんか?

私は、これには驚きました。


『ああ、◯◯さん元気ですか?お久しぶりですねえ・・・』

覚えてないのかと思いきや、私の名前まではっきりと言うではありませんか!

私は、少し興奮気味になって、兎に角そこに座れと彼に云いました。


トニーは、何故私が興奮して厳しい表情になっているのが全く分かっていないようで、兎に角、不思議

そうな顔をしています。

しかし、ダンがポケットから拳銃を出してちらつかせると、トニーは急に怯えたような顔になりました。


様子を察したのか、トニーの方から外に出たいといい出します。

このまま行けば、連れている日本人に正体がバレると思ったのかも知れません。

我々は、マネージャーに断って、トニーを連れて外に出ました。


で、隣のローカルKTV店に行き、そこでトニーに詰問を浴びせることにしたのです。

流石に、ダンは現職のポリスでしたわ。

脅したり宥めたりして、トニーから色々なことを聞き出しました。


さて、ここで判明したことを羅列してみましょう。

先ず、ホテルでの10万円の盗難はボーイの単独犯行で、トニーは知らなかったと言い張ります。

Kのボーイへ指示は、銀行での犯行のみだったそうです。


トニーは、それは後からボーイに聞いただと言いますが、恐らく嘘でしょうね。

しかし、ボーイがミンダナオに逃げたと嘘をついたことは認めさせました。

トニーは、主に日本人客を捕まえてくるのだけが仕事だったようです。


Kの指示で動く、いわゆる実行犯は、実はボーイだったと供述しました。

トニーは、ボーイのボクシングの腕が怖くて、いつも従うだけだったとも言います。

驚いたことに、カビテの家での盗難も、ボーイの犯行だと云いましたね。


トニーは、私が事件後に3人が一緒に居るところを見たとことに、まだ気がついていません。

私のことを、本気で心配したから、カビテの友人の家を紹介したのだと言い張ります。

私は、トニーにそのことを告げました。


流石に、これにはぐうの音も出ないトニーです。

それからは、割と素直に泥を吐きました。

ボーイはトニーから、私がカビテの家にいることを聞き出していたのです。


そこで、私が居ない時を見計らって、合鍵を持って犯行を犯したに相違ありません。

そうなると、合鍵を渡したのはトニーだと言うことになりますね。

『お前も共犯だぞ!』


ダンの口調が、つい厳しくなって来ました。

震え上がるトニーに、Kとボーイの消息を聞き出します。

ボーイは、その後別件で警察に捕まり、留置場に送られたといいます。


ポリスであるダンに、管轄署で調べてくれれば分かるとまで云いましたから、本当だったのでしょう。

Kですが、これも別件で日本の警察から追われており、こちらの入管に拘束された後に、日本に強制

送還されたのだと云いました。


それが事実なら、別の日本人を鉱山の件で騙し、立件されたのかも知れませんね。

ともあれ、聞きたいことは全て聞き出しました。

で、ダンが私に、わざとトニーにも聞こえるような声で耳打ちします。


『こいつどうする?、何なら殺して海に放り込もうか?』

それを聞いたトニーは、すっかりと怯えました。

タガログ語で、一生懸命ダンに命乞いをします。


私は、彼を許すことにしました。

何故ならば、彼の家族の顔を思い出したからです。

彼の娘の誕生日パーティに呼ばれた時の、彼の家族の笑顔が忘れられませんでした。


『もう、許してやろうよ・・・』

私がそう言うと、ダンは渋々トニーを開放しました。

『今度、悪事を働いたら、今度こそお前を殺すからな!』


ダンは、トニーにそう釘を差すのを忘れませんでした。

『もう、日本人を騙すなよ。』

私もそう言ってやりましたが、彼は根が小心者ですから、指導者が居ないと悪事も働けないでしょう。


ああ、やっとこれで、この長かったあとがきも終われますわ。

罰せられる人間も、皆それぞれの持ち場に帰って行ったようです。(笑)

たとえ髪は無くても、神はちゃんと存在するものなのですな!(爆)


神を信じる者は、ここを押しましょうね!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その24 『私の回顧録(あとがき1)』 [移住]

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さて、それからの私は困窮しました。

賢明な皆様には、もう想像がつくでしょう。

そうは簡単に、問屋は卸しませんよねえ・・・


現実は、決して甘くはありませんでした。

職探しなど、一朝一夕に出来るものではありません。

なすすべもなく、悲嘆にくれる毎日が続きます。


なのに、手持ちのお金はどんどん無くなっていきました。

もう、どん底の生活を余儀なくされた格好です。

延命の為に、1週間の予算が米を除いて20~50ペソ(現在の価値で2~3倍)です。


手持ちのお金が3千ペソを切った時点で、そういう生活を自分で強制しました。

(もう、そろそろ限界だな・・・)

そうする内に、私は次第に死を覚悟していくようになりました。


迷惑を掛けまいと、多少の残金がある内に今の住居を引き払おうと思い、大家さんにそう告げます。

大家さんが何処に行くのかと聞くので、仕方なく日本に帰ると嘘をつきました。

そしたら、私が持っていたソニー製のビデオカメラを、売ってくれないかと大家さんが言います。


そのビデオカメラは、私が日本から持ってきた、唯一の高額な持ち物でした。

正直、この申し出には感謝しましたね。

これで、少しは体裁を保ったまま死ねると考えたのです。


20万円近くしたビデオカメラでしたが、大家さんには1万ペソで買って貰いました。

当時のお金で、大体4万円くらいですね。

こういう商品はここでは高いらしく、安く買えたと大家さんは大喜びしてくれます。


もっと高くても買って貰えたのでしょうが、死ぬ覚悟が鈍ると思い、それは言い出しませんでした。

私には、この頃にはもう、死神が取り憑いていたのでしょう。

下手をすれば、1日中死ぬことばかりを考えていたような気がします。


さて、こうなると後は死に場所選びです。

私は、どうせ死ぬのなら、海の見える場所で死にたいと思っていました。

頼りだった、たった1冊のガイドブックには、プエルトガレラが風光明媚だと書いてあります。


アパートにさよならを告げ、私は一路プエルトガレラを目指しました。

パサイからバスに乗り、バタンガス港迄行き、そこからバンカーに乗り込みます。

目的地は、サバンビーチという場所を選びました。


その頃のプエルトガレラは、まだ鄙びたものでしたわ。

今のように、観光客が沢山居ない時代のことです。

但し、サバンビーチは別でしたね。


白人を中心に、歓楽街はそこそこ賑わっていました。

賑わいも、死出の旅には餞(はなむけ)になろうと、そこに宿を取ることにしたのです。

宿は、当時1泊350ペソでしたが、それでも私には高く感じました。


しかし、そんなことはもうどうでも良いのです。

私は、自らの命を絶ちに来たのですから・・・

但し、無一文で死ぬのは嫌でした。


金が無いから死んだと思われるのだけは、我慢が出来なかったのです。

ポケットには、宿代を払っても、まだ数千ペソが残っていました。

私は、最後の晩餐を食べるべく宿を出ます。


(間もなく、私は死ぬのだ・・・)

味気のない食事を摂りながら、最後の覚悟を私は決めました。

一旦宿へ帰り、夜が更けるのを待ちます。


時計の針は、既に夜中の1時を回っていました。

私は、それまでの間、安酒を煽り続けていましたね。

やはり、しらふで死ぬのは怖かったのでしょう。


酒の力を借りて、自分を死に追いやろうとしていたのです。

この時間だと、歓楽街にもあまり人が居ません。

そこを通りぬけ、市場のある道に出ました。


そこを、山の方に上がっていった所に、林が有るのを昼間に確認済みです。

私は、カビテの金物屋で買ったロープを手に持っていました。

それを、比較的太い幹の木の枝にくくりつけないといけません。


私は、隣の細い木によじ登ります。

そして、太い枝にロープを掛けました。

私は、さぞ恐ろしい顔をしながら、その作業をしていたのでしょうね。


今でも、その光景を夢に見ることがあります。

私は、ロープを掴むと、それを自分の首に回しました。

後は、飛び降りるだけで、何もかもが終わります。


(今死なないと、もっと惨めな死に方をしなくてはならないのだ・・・)

私が、最後の決心を持って、いざ飛び降りようとしたその時です。

数人の男女が、私の方に駆け寄って来ました。


現地の住民でしょうが、私に向かって降りろ降りろと云います。

私が何をしようとしたか、分かったのでしょう。

その中の一人が、木に登って来ようとしました。


こうなると、もう死ぬことは出来ません。

私は、慌てて木から降りると、そこに居た人々を突き飛ばすようににして、宿へ走り帰りました。

彼らは、私が逃げ出すとは思っていなかったのか、追いかけては来ませんでした。



人間、一度死に損ねると、2度と死ねなくなるというのは本当ですね。

私にしがみついていた死神は、離れていったようです。

私は、ある目的を持って、マニラに戻ることにしました。


お詫び: あとがきは、端折って終わる予定でしたが、ついつい筆が進んでしまいました。(汗) 
  
明日も、やけくそで続けさせて頂きます。

決して、引き伸ばし作戦ではありませんぞ!(涙)


この話は、記事にしたくなかったのよねえ・・・だからやけくそで押してちょ!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その23 『私の回顧録(最終回)』 [移住]

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同じカビテの中で、私は一軒のアパートを探し当てました。

少しメイン通りから遠ざかっていたものの、中々静かな環境です。

トニーには何も断らず、黙って引っ越しました。


引っ越したといっても、荷物は僅かです。

殆ど身一つで、引っ越したと言って良いでしょう。

このアパートのオーナーであるアランは、日本語が少し出来ました。


元は船乗りだそうで、日本へは勿論、世界各国に行ったことがあるそうです。

既に初老は過ぎていましたが、この人が何くれとなく面倒を見てくれました。

あまりお金がないと見られたのか、生活に必要な家具道具類も、無料で貸してくれたほどです。


私が買ったのは、マットと食器類と電球にLPGのガスタンクだけでした。

ベッドや椅子、台所回りの品やガスコンロなどは、アランが用意してくれましたね。

当然ながら、テレビと冷蔵庫はありません。


もう、無駄使いは出来ないのですから、我慢するしか無いでしょう。

家賃が2千ペソでしたから、当時のレートで約1万円ですね。

敷金一ヶ月分と前払い一ヶ月分でしたが、お金が残り少ないのは否めません。


直ぐにでも、仕事を探さないといけないのですが、探し方も分からないのです。

今のように、ネットで求人を探すことも出来ません。

途方に暮れていましたが、その時にマニラ新聞の存在を思い出しました。


そう言えば、ホテルに泊まっている時に何度か見たことがあります。

その頃は、求人といえばマニラ新聞だけが独占で紹介していましたね。

兎に角、それを思い出した私は、以前泊まっていたホテルにに行って見ることにしました。


新たな住居を得てから、既に1週間が過ぎようとしていた頃のことです。

私は、乗りなれないジープとバスを乗り継いで、マニラへと出掛けました。

思い起こせば、ここ1ヶ月足らずの間に、今まで生きた人生の中で最大の苦難を体験しています。


心も、休まる日もありませんでした。

そういうことを考えながらバスに乗っていましたが、ふと信号待ちで止まっていたバスの中から、隣に

同じく止まった車を覗いた時のことです。


私の目は、もう釘付けになりました。

何故ならば、その車には何と、Kとトニーそれにボーイ迄が乗っていたからです。

(みんなぐるだったのだ・・・)


私の心の中から、声に出ない悲鳴のようなものが湧き上がりました。

私は、急いでバスから降りようとしましたが、その時にはもう信号が変わっていました。

当然、乗用車である彼らのほうが早いのは決まっています。


たちまち見失ってしまったのは、言うまでもありません。

もしかすると、ホテルに行ったら会えるかも知れないと行ってみましたが、そこには居ませんでした。

もう、私はこの時、完全に生きる気力を失くしかけていましたね。


この時までは、完全に3人がグルだとまでは思っていなかったのです。

もしかすると、Kは関係ないかもしれないと思っていたからでした。

(同じ日本人が、日本人を騙すはずはない・・・)


私は、そう勝手に信じていました。

それが大間違いだと気付いた時には、私はとうとう丸裸にされていたのです。

失意の中、私はカビテの住居に帰り、安酒を思い切り煽りました。


前途洋々の気持ちで移住を決断した私でしたが、飛んでもない落とし穴が待ち構えていましたね。

到底受け止め難い出来事でしたが、ようやく私も、この事件をここで書くことに依って、解放されたと

思ってよいかも知れません。


今までは、親しい友人にでも、あまり語って来ませんでした。

あの3人のことは、現在は全然恨んでは居ません。

むしろ、この事件のお陰で私は強くなりました。


その後の事は明日のあとがきに書きますが、兎にも角にも言葉を覚えないことには、騙されてしまう

ばかりだと気付いたのも、この事件が全て発端です。

人間、逆境を経験しないと、強く生きては行けないようですね。


あとがきへと続く・・・(笑)


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フィリピン移住を考える・・・その22 『私の回顧録7』 [移住]

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さて、後悔はしたものの、既に手遅れかもしれません。

あれだけ、Kを怒らせてしまいましたから・・・

この時の私には、3つの選択肢がありました。


1.日本に帰る。

2.何としてもここに残る。

3.別居中の妻の実家に行き助けを求める。


大見得を切って移住を決意した私には、1と3は考えたくも無い選択肢でした。

しかし、この2は私にとって、超難関であるのは間違い有りません。

何処で何をしてどう暮らすなどという、知識や知恵が全く無かったのですから・・・


当時の私は、今もそうですが、かなりの楽天家でした。

一度決めたら、節を曲げないというのが親父の教えです。

(ヤケクソで生きてやる)


その決意を決めた次の日、トニーが私を訪ねてきました。

『◯◯さん昨日はごめんね、Kさん気が短いだからね。』

トニーは、如何にも申し訳なさそうな顔で、私にそう言いました。


『いや、こっちこそごめんよ、悪いのはボーイなのに、昨日はあんな大声出して・・・』

『ボーイは、アコが必ず見つけるよ、だから安心して。』

『そうか有難う、早く捕まればいいけどな・・・』


『大丈夫アコに任せる、であなたはこれからどうする?』

『取り敢えず、ホテルチェックアウトしないとね、ここだと高いから・・・』

『OK、わかった、じゃあここを出て私の知り合いの家に行こう、あそこなら安く泊まれるよ。』


トニーが帰ってきてくれたのは、渡りに船でした。

Kとは修復が不可能であれ、彼だけでもいてくれるのは、百人力のような気がしたからです。

トニーは、カビテに自分の友人が空き家を持っているので、そこに住めば良いと言ってくれました。


1泊500ペソだと言うので、前金で5万円先ず渡しました。

当時のレートで、1万円が2200ペソでしたから、22日分の宿泊費という事にになります。

(この間に何処かで仕事を探そう)、と言うのが、超甘い考えの私だったわけですわ。


移住を前にして、前回の渡比時に、結婚永住ビサの申請をトニーにお願いしていました。

今から考えると、大幅に取得時間を短縮出来るからと聞いて、その時も法外な料金を支払ったのです

が、今回の受け取り時に又々お金が掛かるとトニーが言います。


カビテに住み始めて、5日目のことでした。

『あなたフィリピンに住む、ビサはいるでしょう、ビサがあれば仕事もできるね、だからあと5万円・・・』

前回申し込んだ時には、30万円で全部が終わると聞いていました。


それなのに、あと5万円・・・

思い切り腑に落ちませんでしたが、トニーに文句を言って彼を怒らせたらまずいと思い、ここは追加を

仕方なく支払うことにしました。


仕事ができなければ、元も子もないと思ったからです。

しかし、この時点で持ち金は40万円を切りました。

生活を、相当切り詰めないといけません。


5万円分の宿泊費など、あっという間です。

瞬く間に、22日が過ぎようとしていました。

この間に、トニーは時々様子を見に来ましたが、たまに泊まって帰ったこともあります。


私は、持ち金の内、20万円は円のままで両替せず、その家の中のある場所に隠していました。

ちょっと探しただけでは、簡単に見つかるところではありません。

少なくとも、そのように細工した積もりだったのです。


あと僅かで、追加の宿泊費を払わないといけなくなる数日前、私はその現金を取り出そうとしました。

が、あるべき所にそれがありません・・・

隠した所を間違えたかなと思いましたが、幾ら探しても見つからないではありませんか・・・


(トニーだ・・・)

私は、直感しました。

もう、疑う余地はないでしょう。


この家の鍵は、頑丈にできています。

買い物以外はめったに出掛けませんし、その時も必ずロックして出掛けていました。

この鍵が、壊された形跡もありません。


となれば、犯行が可能な人間は彼一人です。

(もう、これ以上彼に関わるのは危険だ・・・)

どうせ、追求しても言い逃れをしてくるに違いありません。


それよりも、ここからの脱出を考えました。

残りの金も、僅か数万ペソのみです。

私は、慌てて新しい住処を探しに外へ出ていきました・・・


続く・・・


ここは、慌てないで押しましょうね!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その21 『私の回顧録6』 [移住]

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翌日になって、トニーがやって来ました。

私は、飛びかかるようにして彼の手を取り、部屋に招き入れたのは言うまでもありません。

地獄に仏とは、このことですね。


私は口早に、昨日のことをトニーに説明しました。

それを聞いたトニーも、目を丸くして驚きます。

ボーイの家に行ってみるといって、彼は直ぐに部屋を出ていきました。


数時間後、Kからも電話が掛かってきました。

『トニーから聞いたとぞ、一体何をやってたんだよ!』、と詰るように私を責めるKです。

この時まで私は、Kもトニーの事も疑ってはいませんでした。


悪いのは、金を持って逃走した、ボーイだけだと思っていたのですわ。

兎に角、Kもボーイの行方を探してみると言います。

私は、ボーイが見つかることを祈りながら、2人がやってくるのを待ちました。


夜になって、Kとトニーが同時にホテルに戻ってきましたが、そこにはボーイの姿は見えません。

『どうでしたか?』

私は、性急にKに聞きました。


『うん、それがな・・・』

Kは、トニーの顔を見て、お前が云えというような目配せをしました。

トニーは私の顔を見て、如何にも申し訳なさそうな顔をしながらこう言ったのです。


『ごめんなさい、ボーイはもう家にいませんでした、大家さんには、ミンダナオへ帰るから部屋を引き払

うと言ったらしいです・・・』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』


『まあ、ミンダナオに逃げたんだな、これはもうあんたの不注意だよ、折角のチャンスだったのに・・・』

Kは、トニーの言葉を引き継いて、このように私に言いました。

トニーを紹介したのもKだし、そのトニーが紹介したボーイもKは知り合いだった訳です。


(少しは、謝罪や慰めの気持ちもないのか・・・)

私は、腹の中でそう思いましたが、口には出しませんでした。

『取り敢えず、これからのことを考えないといかんな、所でお金はまだあるのか?』


Kがそう聞くので、正直にあと50万円くらいはあると答えてしまいました。

それを聞くと、Kは幾分か柔和な顔になって、私にこう言います。

『それは、俺に預ければ例の鉱山の投資に使ってやるぜ、そうすれば何倍にもなって返ってくるさ・・』


Kは、尚も喋り続けます。

『取り敢えず、日本に帰った方がいいだろう、後でボーイが見つかったら連絡するからな・・・』

Kは、もう如何にも自分で決めつけたように、私にそう言いました。


私は、段々と腸が煮えくり返ってくる気持ちを抑えられずにいましたが、とうとうそれが堰を切ったよう

に吹き出して仕舞ったようです。

気が付くと、私は立ち上がっていました。


『◎▲[いい気分(温泉)]〒&#??;$※♂・・・』

言葉に出来ないような怒りの言葉を、思いっ切りKにぶつけます。

Kも激昂してきて、随分と乱暴な言葉を返して来ましたが、最後にこう叫んで部屋を出ていきました。


『もうお前のことなどは知らん、2度と面倒も見んからな、勝手にしろ、おいトニー帰るぞ!』

彼らは、部屋のドアをバタンと強く閉めて、ここから去って行きます。

私の心のなかに、虚しいものだけが残りました。


(世話になった人に、あそこまで言う必要があったのかな・・・?)

そう思った私は、しまったことをしたと後悔を始めました。

さあて、私の運命や如何に・・・


後悔しないように、ここは押して置きましょうね!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑳ 『私の回顧録5』 [移住]

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Kとの電話を切った後で、気付いたことがありました。

そう言えば、この日は月曜日です。

(えらくタイミングがいいな・・・)


その時は、そういうことも考えませんでした。

まあ、月曜日なので、銀行が開いてて良かったと思っただけです。

暫くして、トニーが来ると思いきや、代わりにボーイがやって来ました。


聞くと、トニーは腹痛で来られないと云うことです。

ボーイも、トニーには少し劣りますが、日本語がある程度は喋れましたね。

やむを得ず、銀行へは彼に同行をお願いすることになりました。


『Kとはもう長いのかい?』

銀行までの道のりの中で、私は彼に尋ねました。

『いや、トニーのボスだから知っているだけね。』


(へ~え、意外と付き合いが短いんだな・・・)

私がそう思っている間に、車は銀行へ到着しました。

現金を下ろそうとすると、これが又一悶着・・・


月曜の朝だからという理由で、現金が銀行にありません。

日本では考えられませんが、こちらでは割りと多いことです。

2時間ほど待たされて、やっと現金を受け取る事が出来ました。


現金をバッグに詰め、ボーイが私に寄り添うようにしてガードしながら、車に乗り込みます。

乗り込んだ後、ボーイがエンジンを掛けて車をバツクさせ、向きを変えた時のことでした。

後部座席に乗っている私に、ボーイがこう云います。


『ごめんなさい◯◯さん、後ろのタイヤがパンクしているみたい、ちょっと見て呉れませんか?』

私は窓を開けて見ようとしましたが、その位置からはよく見えません。

仕方が無いので、私が車から降りてみて見ることにしました。


右後ろ良し、左後ろ良しで、車の窓の外から、ボーイにOKのサインを出した時のことです。

ボーイが、お金の入ったバッグを車に載せたまま、猛烈な勢いで走り去るではありませんか!

慌てて追いかけましたが、もう後の祭りです。


一瞬の出来事で何が何だか理解が出来ず、呆然としてそこに立ち尽くして仕舞いました。

1時間後、ホテルに戻った私は、必死でKとトニーに連絡を取ろうと試みました。

Kの自宅に電話しましたが、誰も出ません。


トニーの家は娘が出ましたが、彼は留守だと云います。

私はもう、何をして良いのか分からず、途方に暮れていくばかりでした。

何故ならば、先ほどの銀行では、ほぼ全額を引き出してしまったからです。


銀行からお金を下ろすのは、意外と手間暇が掛かるものだと分かったので、運転資金も銀行から下ろ

しておいて、手持ちで持とうと考えたのが最大の悔やみごとでした。

これで、手持ちの金は、例の持ってきた100万円の残りということになります。


そのお金も、ホテル代や飲食代、誰かに盗まれたりと、残り50万円余りとなっていましたね。

しかし、その日はとうとう誰とも連絡が取れませんでした。

私はその夜、失意の中食事も取らずに、ホテルに引き篭もることになったのです・・・


涙ながらも続く・・・


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